ダーウェント峡谷の工場群は、イングランド中部、ロンドンの北西約195km圏内、ペナイン山脈(Pennines)の南端、ダービーシャー(Derbyshire)ダービー(Derby)、ダーウェント川(River Derwent)上流に位置、18世紀から19世紀間に繁栄した登録面積12.287km²、緩衝地帯43.627km² を占有する歴史的、技術的に大量生産が可能な近代紡績工場の産業景観を保持する領域。
ニュー・ラナークは、ロンドンの北西約520km、スコットランドの首都エディンバラの南西約50km、サウス・ラナークシャー(South Lanarkshire)・ラナーク(Lanark)の南約1.5km圏内、クライドの滝近郊、スコットランドの風光明媚な自然に囲まれて如実な文化的風景を例示する登録面積146ha、緩衝地帯667ha占有する特別な目的のために建てられた建築物エリアで構成する産業集落。
ダーウェント峡谷の工場群は、1721年、ダービー(Derby)においてトーマス・ロンブ(Thomas Lombe、1685年~1739年)、ジョン・ロンブ(John Lombe、1693年~1722年)兄弟によるイタリアのデザインに基づく、前例のない生産量、労働者就業者数は誇る撚糸法の機械を収容する製糸工場の建設が幕開きとなり、1771年にクロムフォード(Cromford)にそれまでになかった水力紡績工場をリチャード・アークライト(Richard Arkwright、1732年~1792年)が建設、1776年~77年には精密なアークライト・システムの大規模工場が確立されています。
関連した労働者住宅及び他工場は全長24kmに及び、北に近いマトロックバス(Matlock Bath)郊外からダーウェント峡谷の南、ダービー中心にそのまま保存されています。
英語表記:Derwent Valley Mills
所在地:イングランド、ダービーシャー N53 1 44 W1 29 17(緯度 経度:度分秒)
登録基準 (ii)(iv) 2001年登録
ニュー・ラナークは、19世紀初頭、社会主義者ロバート・オウエン(1771年~1858年)が、義理の父デイビット・デール(1739年~1806年)の利他的行動を産業において慈愛のパターナリズムを最初に適用した地域で、そこには、犯罪、貧困、不幸のない住民視野の社会を明確に示し、繊維生産に基づくモデルで産業労働者社会に影響を与えています。
村は1785年に設立され、工場は19世紀の変わり目に世界最大の工業団地の一つを形成、水車動力の綿工場は1786年から1968年まで操業、ニュー・ラナークは彼の啓発管理下で繁栄しています。
英語表記:New Lanark
所在地:スコットランド、サウス・ラナークシャー N55 39 48 W3 46 59(緯度 経度:度分秒)
登録基準 (ii)(iv)(vi) 2001年登録
登録年度順 | 登録名 |
1 | ジャイアンツ・コーズウェーとコーズウェー海岸 |
2 | ヘンダーソン島 |
3 | ゴフ島及びインアクセシブル島 |
4 | ドーセット及び東デヴォン海岸 |
登録年度順 | 登録名 |
1 | セント・キルダ |