バース市街は、南西イングランド、ロンドンの西約155km圏内、サマセット(Somerset)・バース(Bath)に位置、1世紀頃、ローマ軍の侵攻によって天然温泉の大浴場と神殿が建設され、ローマ帝国下で温泉街として発展、ローマ撤退とともに荒廃、中世ではウール産業の重要な中心地となり、18世紀のジョージ1世(George l、1660年~1727年、在位:1714年~1727年)、2世(George II、1683年~1760年、在位:1727年~1760年)、3世(George III、1738年~1820年、在位:1760年~1800年)の治世下、上流階級のリゾート地として文学、芸術の優雅な温泉街として再開発、登録面積29km² を占有するイングランド有数の観光地。
ローマ・リメス(Roman Limes)は、イングランド北部の大西洋沿岸からヨーロッパを横断して黒海、そこから紅海、北アフリカに渡って大西洋沿岸に至る5,000km以上に伸びる登録面積5.269km²、緩衝地帯52.257km² を占有するAD.2世紀のローマ帝国最大の国境線を示し、ローマ帝国時の防壁、堀、堡塁、要塞地、望楼、民間居住地の痕跡など、一部の損壊、いくつかの再建で構成。
アルプス北側に位置するバース市街は、アクアエ・スリス(Aquae Sulis)を中心とする大浴場、スリス・ミネルヴァ神殿(Temple of Sulis Minerva)など、重要なローマ遺跡が残存、歴史の始まりとなった優れた普遍的な価値を持つローマ治世時の遺跡を中心に都市再開発が行われ、以来、最も有名な温泉保養地、観光地になっています。
バース市街は、アセンブリ・ルーム、ポンプ・ルームなど、異なる形状のネオ・クラシカル様式の記念碑的公共建築物とクイーンズスクエア(Queen Square)、サーカス(Circus)、ロイヤル・クレセント(Royal Crescent)の建築物が共同で18世紀の野心を反映する独特な社交的温泉街。
建築と景観が調和したジョージ王朝時代の都市は、ジョン・ウッド・シニア(John Wood Senior、1704年~1754年)、ラルフ・アレン(Ralph Allen、1693年~1764年)、リチャード・ボー・ナッシュ(Richard “Beau” Nash、1674年~1761年)の野心を反映するヨーロッパで最も美しい都市のひとつとして温泉保養を楽しむことができます。
英語表記:City of Bath
所在地:イングランド、サマセット N51 22 53 W2 21 31(緯度 経度:度分秒)
登録基準 (i)(ii)(iv) 1987年登録
ローマ帝国が最大に達したAD.2世紀、領土範囲で西の大西洋岸から東の黒海、北はスコットランド中部から南はサハラ砂漠の北部周辺まで、国境に築かれた防衛網によって保護された歴史上、最も大きな帝国の一つ。
ドイツに残存する境界線の2区間は、北西部から南東部のドナウ川まで550kmの距離を包含、長さ118kmのハドリアヌスの長城(Hadrian’s Wall、イングランド)は、皇帝ハドリアヌス(Hadrianus、AD.76年~AD.138年、在位:AD.117年~AD.138年)の指示により建造、AD.122年、ローマ属州ブリタニア最北端の境界線は、軍事区間を構成する顕著な例であり、古代ローマ帝国の防衛技術と地政学的戦略を例示。
ローマ・リメス(Roman Limes)北西部の大半を構成するスコットランド中央部に位置する長さ60kmのアントニヌスの長城(Antonine Wall)は、AD.122年、皇帝アントニヌス・ピウス(Antonius Pius、AD.86年~AD.161年、在位:AD.138年~AD.161年)によって、北の蛮族、スコットランドに対する防衛として開始されています。
英語表記:Frontiers of the Roman Empire
所在地:イギリス、ドイツに跨る共有資産 N54 46 29 W1 34 34(緯度 経度:度分秒)
登録基準 (ii)(iii)(iv) 1987年登録、2005年、2008年拡張
登録年度順 | 登録名 |
1 | ジャイアンツ・コーズウェーとコーズウェー海岸 |
2 | ヘンダーソン島 |
3 | ゴフ島及びインアクセシブル島 |
4 | ドーセット及び東デヴォン海岸 |
登録年度順 | 登録名 |
1 | セント・キルダ |