スウェーデン王室宮殿の一つ、ドロットニングホルム宮殿は、首都ストックホルム(Stockholm)の西約16km圏内、エーケレー(Ekerä)・ロベ島(Lovön Island)に位置、16世紀終末に建てられた、スウェーデン人気の観光地。
ビルカ(Birka)は、首都ストックホルム(Stockholm)の西約30km圏内、メーラル湖(Lake Mälren)に浮かぶビェルケ島(Bjärkä)に残存するバイキング時代の都市遺跡、同様にホーヴゴーデン(Hovgården)は隣接するアデルスユー島(Adelsä)に残存するバイキング時代の遺跡。
ビルカとホーヴゴーデンは、共にヨーロッパ・バイキング時代の入念な交易網及びそれ以降のスカンジナビア歴史に対する影響を例示する考古学的な複合体を構成しています。
王妃の小島を意味するドロットニングホルムは、スウェーデン・ヴァーサ王朝:ヨハン3世(1537年~1592年、在位:1568年~1592年)の統治期間1580年に由来、ヨハン3世最初の后カタジナ・ヤギェロンカ(Catherine Jagellon、1526年~1583年)のため、ドロットニングホルム宮殿前身となる石造宮殿が建設されています。
宮殿は、17世紀中頃、ヘートヴィヒ・エレオノーラ女王(Eduviges Leonor、 1634年~1715年)に委譲され、火災後に女王は、建築家ニコデムス・テッシン(Nicodemus Tessin den Elder、1615年~1681年)復元を命じたが、仕事を終わらせることができず、彼の死後、彼の息子(Nicodemus Tessin the Younger、1654年~1728年)にプロジェクトが引き継がれています。
ヘートヴィヒ・エレオノーラは、その息子カール11世(Carlos XI、1655年~1697年、在位:1660年~1697年)が幼く即位したため摂政に参加、ヴェストファーレン条約(Peace of Westphalia)によりスウェーデンが獲得したグレートパワーに準じた豪華な建物が計画されています。
フランスとオランダの新古典主義に影響されたこの宮殿は、18世紀中頃にルイーゼ・ウルリーケ王妃(Luisa Ulrica、1720年~1782年、在位:1751年~1771年)の結婚式の贈り物として与えられています。
英語表記:Royal Domain of Drottningholm
所在地:ストックホルム・エーケレー N59 19 23.016 E17 52 59.988(緯度 経度:度分秒)
登録基準 (iv) 1991年登録
ホーヴゴーデン(Hovgården)は、スウェーデン中央東部のエーケレー自治体(Ekerä)、メーラル湖(Lake Mälren)に浮かぶ小島アデルスユー島(Adelsä)に残存するバイキング時代の王族や豪族が地域を支配したとされる考古学的史跡で、ロマネスク様式Adelsä教会の北西に位置する平坦な地域にあり、森林を含んだモレーンの狭い地溝帯が北へ伸びる特徴で描写され、アデルスユー島のすぐ南、ビェルケ島(Bjärkä)に位置するビルカは、8世紀中頃に設立、10世紀後半に放棄されたメーラレンバレーで定住、繁栄したバイキング時代の中心地と研究者は推測、また、キリスト教宣教のため、聖アンスガル(St Ansgar、801年~865年)により、831年に設立されたスウェーデン最初のキリスト教集会所の重要な考古学遺跡が残存しています。
英語表記:Birka and Hovgarden
所在地:ストックホルム・ウップランズ地方(Upplands) N59 20 6.504 E17 32 33.504(緯度 経度:度分秒)
登録基準 (iii)(iv) 1993年登録
外務省公表の「危険情報」は、渡航・滞在にあたって特に注意が必要と考えられる国・地域に発出される情報。