サンマルラハデンマキの青銅器時代の石塚墳は、フィンランド南西部、首都ヘルシンキの北西約202km圏内、ボスニア湾に面するサタクンタ県(Satakunta)ラウマ(Rauma)郡ラッピ(Lappi)に位置、36haの敷地内に紀元前1500年から紀元前500年の33個の埋葬石塚が含まれたスカンジナビア青銅器時代の最も多様な純然たる埋葬地を構成。
シュトルーヴェの測地弧は、ノルウェーのハンメルフェスト(Hammerfest)からスウェーデン、ベラルーシ、エストニア、フィンランド、ラトビア、リトアニア、モルドバ共和国、ロシア連邦、ウクライナのスタラ・ネクラシウカ(Stara Nekrasivka)まで、 10ヶ国を通過、2820km以上にまたがる子午線測量のために設置された三角点群。
石塚墳は、長い尾根の頂上と斜面に沿って特徴的ないくつかの一群に配置され、発掘された8つの石塚のうち、6つが青銅器時代、2つが初期鉄器時代の年代で、典型的な青銅器時代の西洋文化を提示。
これらの石塚は、通常、峰頂上の崖下表面から切り出された花崗岩石、または敷地自体から集められ花崗岩石で、その形状と大きさに応じていくつかの異なるグループに分類されています。
サンマルラハデンマキには、1つの連続的な段階で拡大しているように見える楕円形の細長い構造、およびフィンランドではユニークでスカンジナビアでは極めて稀である「教会フロア」として知られている大規模な四角形石塚の珍しい2つの構造体が含まれています。
英語表記:Bronze Age Burial Site of Sammallahdenmäki
所在地:サタクンタ県 N61 7 14.016 E21 46 39(緯度 経度:度分秒)
登録基準 (iii)(iv) 1999年登録
地球の大きさや形状は、紀元前4世紀頃から自然科学の最重要課題の1つとされていましたが、16世紀に進展した「三角測量」と呼ばれる測量システムは、地球の大きさと形状を決定する能力を向上させています。
ドイツ系ロシア人天文学者フリードリヒ・ゲオルク・ウィルヘルム・シュトルーヴェ(Friedrich Georg Wilhelm Struve、1793年~1864年)の指揮のもと、数人の学者(測量士)により1816年から1855年に実施され、長距離にわたる調査で、測地学において子午線を初めて正確に測量。
英語表記:Struve Geodetic Arc
所在地:フィンランド、ノルウェー、スウェーデン、ベラルーシ、エストニア、モルドバ、ラトビア、リトアニア、ロシアに跨る共有資産
N59 3 28 E26 20 16(緯度 経度:度分秒)
登録基準 (ii)(iii)(vi) 2005年登録
フィンランドの三角点位置及び座標
ラッピ県(Lappi)エノンテキオ(Enontekiö)、ストーラハノアイヴィ(Stuorrahanoaivi):N68 40 57 E22 44 45
ラッピ県(Lappi)ユリトルニオ(Ylitornio、エベルトーネオー:Övertorneå、アーヴァサクサ(Aavasaksa):N66 23 52 E23 43 31
中央スミオ県(Keski-Suomi)トルニオ(Tornio)、アラトルニオ教会(fi:Alatornion kirkko):N65 49 48 E24 09 26
中央スミオ県(Keski-Suomi)コルピラハティ(Korpilahti)、オラリヴオリ(Oravivuori):N61 55 36 E25 32 01
ウーシマー県(Uusimaa)ラピンヤルヴィ(Lapinjärvi)、Tornikallio:N60 42 17 E26 00 12
キュメンラークソ県(Kymenlaakso)ピュフター(Pyhtää)、ムスタヴィーリ(Mustaviiri):N60 16 35 E26 36 12
各国の三角点位置及び座標、ロシアの世界遺産シュトルーヴェの測地弧