アルバニア南部、ヴロラ州(Qarku i Vlorēs)サランダ県(Rrethi i Sarandës)の県都サランダ(Sarandë)から南約20km圏内に位置、緩衝地帯8,591haを占有する地中海沿岸の自然と考古学モニュメントの特有な環境から構成。
ベラットとギロカストラの歴史地区は、アルバニア南部、首都ティラナ(Tiranë)の南約145km圏内に位置、互いに近接する歴史地区は登録面積58.9ha、緩衝地帯136.2haを占有、この地域の建築遺産の豊かさと多様性を提示する要塞化された保存良好な2つの歴史都市。
ブトリントは、紀元前5万年の最も初期の居住形跡から19世紀までの地中海沿岸歴史のミクロコスモスで、地中海地方で最も歴史ある風景は遺産価値低下の積極的な開発を免れた自然と考古学の珍しい組合せを形成、その後背地は、何世紀にもわたって組織的に発達した優れた文化的景観を構成しています。
先史時代の遺跡は、ブトリント湖河畔とブトリント川に囲まれた小高い丘のブトリント中心のより広い領域で確認され、紀元前800年からローマ人の到来までは、ギリシャ文化の影響を受けた都市国家の要素を持つチャオニア人(Chaonian tribes)によって居住されていました。
A.D.5世紀のブトリントは、聖公会の中心地となり、要塞化及び実質的な初期キリスト教の建造物が建設され、放棄期間の後、9世紀のビザンチン支配のもとでブトリントは再建、14世紀にはアンジュー帝国、その後ベネチアン人の支配下に置かれています。
英語表記:Butrint
所在地:ブロラ州サランダ N39 45 4 E20 1 34(緯度 経度:度分秒)
登録基準 (iii) 1992年登録、1999年拡張、2009年マイナー境界変更
ベラットとギロカストラの歴史地区は、オスマン帝国の期間中、より多くの古代の影響を取り混ぜたイスラムの伝統によって影響された生活様式が含まれ、特にベラットの生活様式は、精神的、文化的発展を継続する正教会の伝統を尊重しています。
ギロカストラは大地主によって建設された13世紀城塞周辺に、17世紀に建てられたバルカン地域の特徴であるタレット家屋(Turkish kule)が多く点在、19世紀初頭のより精巧な家屋も引き継がれています。
英語表記:Historic Centres of Berat and Gjirokastra
所在地:アルバニア N40 4 10 E20 7 60(緯度 経度:度分秒)
登録基準 (iii)(iv) 2005年登録、2008年拡張
ティラナ県(Rrethi i Tiranës) 主な行政区及び観光地
ティラナ県(Rrethi i Tiranës) N41 19 48 E19 49 12 ※ ⇒ Google Map
ティラナ(Tiranë) N41 19 48 E19 49 12 ※ ⇒ Google Map
ジャーミア・エトヘム・ベウト(Xhamia e Et'hem Beut) N41 19 40 E19 49 09 ※ ⇒ Google Map
ティラナのピラミッド(Pyramid of Tirana) N41 19 23.5 E19 49 17.6 ※ ⇒ Google Map
ギロカストラ県(Rrethi i Gjirokastrës) 主な行政区及び観光地
ギロカストラ県(Rrethi i Gjirokastrës) N40 04 00 E20 12 00 ※ ⇒ Google Map
ギロカストラ(Gjirokastër) N40 04 27 E20 08 27 ※ ⇒ Google Map
ベラト県(Rrethi i Beratit) 観光地
ベラト県(Rrethi i Beratit) N40 40 00 E19 57 00 ※ ⇒ Google Map
ベラト(Berati) N40 42 00 E19 57 00 ※ ⇒ Google Map
登録年度順 | 登録名 |
1 | ブトリント |
2 | ベラットとギロカストラの歴史地区 |
登録年度順 | 登録名 |
1 | カルパティア山脈など欧州各地のブナ原生林群 |
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