北アジア、東欧に位置するロシア連邦には、ロシア帝国の宮殿やロシア正教の大聖堂などが立ち並ぶ観光名所「モスクワのクレムリンと赤の広場」、「ノヴゴロドの文化財とその周辺地区」など、ロシア国家樹立~帝政ロシア時代までの伝統的な文化を示す華麗な建造物が立つ美しい街並みに、ロシア皇帝の宮殿、ロシア正教の大聖堂、大修道院群などの象徴的な世界遺産(文化遺産)が引き継がれています。
城塞を意味するクレムリンは、年代記イパーチー写本 (Hypatian codex)により初めて言及されたのが1147年、その後のユーリー・ドルゴルーキー(Yuri Dolgoruki、1099年~1157年)がモスクワ中心部を流れるモスクワ川とネグリンヤナ川(現在は地下河川)の合流点に木造砦を構築した1156年が始まりとされています。
生神女福音大聖堂(ブラゴヴェシチェンスキー大聖堂、Cathedral of the Annunciation)、生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー大聖堂、Dormition Cathedral)の宗教的モニュメント、大クレムリン宮殿(Great Palace of the Kremlin)、テレムノイ宮殿(Teremnoi Palace)、イワン大帝の鐘楼(bell tower of Ivan Veliki)など、一まとまりの建築物、造形美術がクレムリンに含まれています。
赤の広場では、堀の生神女庇護大聖堂(セント・バジル大聖堂、Saint Basil's Cathedral、聖ワシリイ大聖堂)がロシア正教の主要な芸術的な建築物が引き継がれています。
ノヴゴロドは、モスクワの北西、ヴォルホフ川流域に位置、9世紀に遡る最古のドキュメンタリー文書「原初年代記」により、スウェーデンのリューリク(Rurikids、リューリク朝、バラング人、Varangian)が9世紀にノヴゴロドを占領、スラヴ人を征服してロシア最初の国家を建設。
9世紀~10世紀におけるロシア国家樹立に直接な関係を持つノヴゴロド町はロシアの中心都市として機能、ロシアとバルト諸国、北欧のスカンディナビア諸国、中央アジアやビザンティン(東ローマ帝国)を結ぶ貿易ルート上に位置。
クレムリンは、スーズダリ公(1149年~1151年)の新しい防御壁に囲まれたさらなる郊外の定住によって発展成長、13世紀のクレムリンは最高権力者の一時的な宗教的、精神的な公邸とされています。
中世ロシアでは多くの都市がモスクワ同様、中心部に城塞を備えた典型的な放射状の円形プランが採用され、15世紀後半~16世紀初頭のクレムリンは、ヨーロッパの主要な要塞の一つとなり、石垣積みと塔、優れた品質の記念碑全体が、1485年~1516年に築かれています。
英語表記:Kremlin and Red Square, Moscow
所在地:モスクワ N55 44 44.988 E37 37 46.992(緯度 経度:度分秒)
登録基準 (i)(ii)(iv)(vi) 1990年登録
人民議会を通じて都市、共和国を統治した大主教や貴族階級が君臨したノヴゴロドは、一般的なロシア文化と最も古いロシア芸術の最も重要な拠点で石造建築の国家スタイル発祥の地、絵画で最も古い国家的な教習所の1つで、中世ロシアの特有現象だった歴史的建造物の大部分は、12世紀~15世紀のノヴゴロド共和国に関連付けられています。
11世紀中旬に建造され現存するロシア最古の建造物の一つで、17世紀に補強された聖ソフィア大聖堂や15世紀の要塞、クレムリンを含む12世紀~19世紀の他の記念建造物は、ノヴゴロド市内中心部の商業地区に位置、いくつかは若干の遠くの地域にも残存しています。
英語表記:Historic Monuments of Novgorod and Surroundings
所在地:ロシア連邦ノヴゴロド N58 31 59.988 E31 16 59.988(緯度 経度:度分秒)
登録基準 (ii)(iv)(vi) 1990年登録