南アジアに位置するパキスタンには、ギリシャ、ペルシャ、インドの文化が混交する「タキシラ」、ムガル帝国統治時代の遺産「タッターの文化財」など紀元前から18世紀まで隆盛を誇った王国の王宮跡や仏教遺跡、優美なイスラムモスクなど、歴史上の記念建造物が世界遺産(文化遺産)として引き継がれています。
タキシラは、パキスタンの首都イスラマバードの西約35キロ、パンジャーブ州の北端ラーワルピンディー (Rawalpindi)の北西約50kmに位置。
居留初期の中石器時代の洞穴、紀元前2世紀頃のシルカップ(Sirkap)の古代都市の遺構、A.D.1世紀頃のクシャーナ朝時代のシルスク(Sirsukh)の仏教修道院からイスラム・モスクとイスラム神学校など、紀元前5世紀からA.C.2世紀にタキシラが、ペルシャ、ギリシャの影響を交互に受けた考古学的な遺跡となっています。
タッターはパキスタン南部シンド州、インダス川デルタ地帯に位置、土着のサンマー朝、アルグン朝、タルハーン朝の3連続王朝の首都して繁栄、16世紀末からデリーのムガル帝国が支配。
14世紀から18世紀まで隆盛を極めた王朝の都市遺構と大規模な共同墓地が残存、シンド独特な遺跡を提供するタッターの文化財として世界遺産に登録されています。
タキシラは、紀元前6世紀のガンダーラ王国の首都、歴史を刻むタキシラの考古学的遺跡、ビール(Bihr)、シルカップ(Sirkap)、シルスク(Sirsukh)は、5世紀以上を通じてインド亜大陸での都市進化パターンを提示。
紀元前5世紀、イラン西部ペルシア帝国の都市として、アジア台頭の古代王国一部となり、古代ギリシャ語の名前をタキシラに変更した後、ペルシア支配が終焉。
紀元前4世紀、南東ヨーロッパ、バルカン半島からマケドニア王国アレキサンダー大王(紀元前356年~紀元前323年)の征服による、古代ギリシャ文化が根付く。
英語表記:Taxila
所在地:パンジャーブ州 N33 46 45 E72 53 15(緯度 経度:度分秒)
登録基準 (iii)(vi) 1980年登録
タキシラ遺跡の一つ、ビール(Bihr)はタキシラ最古の遺跡、アケメネス朝(紀元前550年~紀元前330年)により紀元前6世紀頃に設立されたと推測、インド亜大陸の入り口としてアレキサンダー大王が勝利を得た歴史的なイベントに関連付けられています。
シルカップ(Sirkap)は、古代ギリシャのグレコ・バクトリア王国(紀元前255年頃~紀元前130年頃)デメトリオス王によって紀元前2世紀に建設された古代都市。
シルスク(Sirsukh)はクシャン帝国(クシャーナ朝)時代の首都、1世紀~3世紀迄に建設。
1~5世紀、中国と西側を結ぶ戦略的なシルクロードの支線に位置したタキシラは繁栄、現在、アジアで最も重要な考古学的遺跡の1つとされています。
パンジャーブ州 観光地
タキシラ(Taxila) 所在地:パンジャーブ州タキシラ(Taxila Punjab) N33 44 45.0 E72 47 15.0 ※ ⇒ Google Map
バードシャーヒー・モスク(Badshahi Mosque) 所在地:パンジャーブ州ラホール(Lahore Punjab) N31 35 16.7 E74 18 33.6 ※ ⇒ Google Map
シャリマール・ガーデンズ(Shalamar Gardens) 所在地:パンジャーブ州ラホール(Lahore Punjab) N31 35 13.4 E74 22 55.6 ※ ⇒ Google Map
ラホール城(Lahore Fort) 所在地:パンジャーブ州ラホール(Lahore Punjab) N31 35 16.3 E74 18 54.3 ※ ⇒ Google Map
マスジッド・ワザー・カーン(Wazir Khan Mosque) 所在地:パンジャーブ州ラホール(Lahore Punjab) N31 34 59.7 E74 19 25.0 ※ ⇒ Google Map
ジャハーンギール廟(Tomb of Jahangir) 所在地:パンジャーブ州ラホール(Lahore Punjab) N31 37 21.2 E74 18 11.6 ※ ⇒ Google Map
パタリアータ(Patriata) 所在地:パンジャーブ州パタリアータ(Patriata Punjab) N33 52 28.4 E73 27 24.7 ※ ⇒ Google Map
ジャロ・パーク(Jallo Park) 所在地:パンジャーブ州ラホール(Lahore Punjab) N31 34 17.5 E74 28 37.4 ※ ⇒ Google Map
タキシラ・ミュージアム(Taxila Museum) 所在地:パンジャーブ州タキシラ(Taxila Punjab) N33 44 47.2N E72 49 09.9 ※ ⇒ Google Map
タッターの文化財に、インダス川デルタ地帯の上流付近、約10k㎡の面積に50万墓以上の巨大な墓地が位置。
タッター近郊の都市と関連した長さ6.5km、マクリの丘(Makli Hill)に密集する共同墓地はイスラム社会では最大級とされ、14世紀から18世紀までのイスラム文化を中心としたシンド州の風習を提示しています。
墓地に埋葬された国王、王妃、聖者、学者、賢人の石碑はレンガを使用、タッターを統治したジャム ・ニザームッディーン2世(在位;1461年~1509年)の記念碑は、石で建設され最もカラフルで目立ち、その周囲を関連する人物の墓が囲んでいます。
大規模構造の記念碑の集合は独特で、ローカル・スタイルと融合したグジャラートスタイルのヒンドゥ建築様式とムガル朝建築様式の多様な影響を提示。
ムガル朝時代に隆盛を極めたタッターは、18世紀中旬、インダス川流域の変化やペルシャの侵入よって衰退、現在では、ムガル朝第5代皇帝シャー・ジャハーンが歳月をかけて建造した優美なモスクに数十のモスク群、大規模霊廟が現在に引き継がれています。
英語表記:Historical Monuments at Makli, Thatta
所在地:シンド州 N24 46 0 E67 54 0(緯度 経度:度分秒)
登録基準 (iii) 1981年登録
登録年度順 | 登録名 | 登録区分 |
1 | モヘンジョダロの遺跡群 | 文化遺産 |
2 | タフティーバヒーの仏教遺跡群 | 文化遺産 |
3 | タキシラ | 文化遺産 |
4 | タッターの文化財 | 文化遺産 |
5 | ラホールの城塞とシャリマール庭園 | 文化遺産 |
6 | ロータス城塞 | 文化遺産 |