南アジアに位置するインドには、ムガル朝第2代フマーユーン帝の壮麗で最大の霊廟「デリーのフマーユーン廟」、奴隷王朝が建設したインドで最も高い石造建造物「デリーのクトゥブ・ミナールと周辺遺跡群」などの廟、宗教建造物が世界遺産(文化遺産)として引き継がれています。
インド・ニューデリーの南東約5kmに位置するフマーユーン廟は、ムガル朝第2代フマーユーン帝(在位1530年~1540年、1555年~1556年)の墓廟。
フマーユーン帝の没後、妃の一人ハミーダ・バーヌー・ベーグム(Hamida Banu Begum、1527年~1604)が亡き皇帝の思い出のために、壮麗で最大限の霊廟をヤムナー河近郊に着工させ、9年の歳月を掛けて完成しています。
1570年に完成したフマーユーン廟は、インド亜大陸の最初の庭園墓でムガル建築特定の文化的重要性をもっています。
奴隷王朝(1206年~1290年)のクトゥブッディーン・アイバク(~1210年)が、1193年にヒンドゥー教領主を倒した時の戦勝記念として、13世紀初頭にデリーの南数Km先郊外、広々とした平地にに建設。
インド北部で最も古い約20のヒンドゥー教寺院の材料を再利用して1311年に築かれたインド・イスラーム芸術の傑作されるクワットゥル・イスラーム・モスクを含めた2つのモスクと豪華なアライ・ダルワザ門、直径は約44cm、高さは約7m、碑文が刻まれ、頂上が装飾的な鉄柱(チャンドラヴァルマンの柱、或いはデリーの鉄柱)など、周囲の考古学的な地域が世界遺産に登録されています。
周囲の庭園は、4区画に区分された正方形(チャハルバーグ形式)の庭園で、ペルシア伝統が色濃く反映された建築様式は、それまでのヒンドゥー建築やイスラーム建築にはない優美な姿が特徴。
中央の二重ドーム構造に、赤砂岩に白大理石をはめ込む様式は、その後のタージ・マハルを例とするムガル建築のモデルとされ、主要ないくつかの建築技術に影響を与えた技術革新は、タージ・マハルの建設で最高潮に達しています。
英語表記:Humayun's Tomb, Delhi
所在地:ニュー・デリーの南東約5km N28 35 35.988 E77 15 2.016(緯度 経度:度分秒)
登録基準 (ii)(iv) 1993年登録
奴隷軍人としてイスラーム王朝・ゴール朝(11世紀初頭~13世紀初頭)に仕えたクトゥブッディーン・アイバクは、将軍職としてインド諸勢力との戦いで数々の功績をあげ、ゴール朝のインド支配に貢献し続けていました。
ゴール朝のインド総督の地位を得たアイバクは、北インドを支配下に置き、ゴール朝の分裂と衰退ともに、自らスルタン(君主)を名乗りデリーを独立、インドを支配する初のイスラーム王朝を建国、奴隷王朝から約320年間、デリーを中心に北インドを支配するイスラーム王朝、デリー・スルタン朝の誕生となっています。
デリー・スルタン朝は、奴隷王朝(1206年~1290年)からヒルジー朝(1290年~1320年)、トゥグルク朝(1320年~1414年)、サイイド朝(1414年~1451年)と続き、ロディー朝(1451年~1526年)を最後に、イスラーム王朝・ムガル朝(1526年~1858年)の勃興により終焉。
英語表記:Qutb Minar and its Monuments, Delhi
所在地:ニュー・デリーの南約15km N28 31 32.988 E77 11 7.008(緯度 経度:度分秒)
登録基準 (iv) 1993年登録
登録年度順 | 登録名 |
1 | カジランガ国立公園 |
2 | マナス野生動物保護区 |
3 | ケオラデオ国立公園 |
4 | スンダルバンス国立公園 |
5 | ナンダ・デヴィ国立公園と花の谷国立公園 |
6 | 西ガーツ山脈 |
7 | 大ヒマラヤ国立公園 |
登録年度順 | 登録名 |
1 | カンチェンジュンガ国立公園 |