ロンドンのシンボル的な建造物、ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター大寺院及び聖マーガレット教会は、ロンドン中心部、テムズ川(River Thames)に隣接、登録面積10.28haを占有する、これら複雑なシルエットはイングランド王・エドワード懺悔王(Edward the Confessor、AD.1003年~AD.1066年、在位:AD.1042年~AD.1066年)がAD.11世紀、小さなソーニー島(ウェストミンスター)に宮殿と教会を建設して以降、君主制、宗教、権力を象徴するイングランドのランドマークとして、現在、世界的な観光スポットになっています。
カンタベリー大聖堂、聖オーガスティン大修道院及び聖マーティン教会は、南東イングランド、ロンドンの南東約90km圏内、ドーバー海峡に面するケント州(Kent county)に位置、登録面積18.17haを占有するロマネスク様式とゴシック様式の建築物は、約5世紀の間、宗教上の中心地となったイングランド国教会の総本山。
君主制国家及び教会との絡み合った歴史を示すウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター大寺院及び聖マーガレット教会は、何世紀にもわたり、イングランドの封建社会から現代民主主義までの行程を示し、君主の戴冠、結婚、埋葬地としての機能を継承、政治的、社会的に極めて重要な役割を果たしています。
英語表記:Palace of Westminster and Westminster Abbey including Saint Margaret’s Church
所在地:イングランド、ロンドン、ウェストミンスター N51 29 59 E0 7 43(緯度 経度:度分秒)
登録基準 (i)(ii)(iv) 1987年登録、2008年マイナー境界修正
アンサンブルのアイコニック・シルエットは、世界中で定期的に放送される「ビッグベン」の響きとともに、国際的に認められたアイデンティティのイントリンシック部分を形容、現在においてウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター大寺院及び聖マーガレット教会は、最古の議院法による議会君主制の一つの歴史と議会及び立憲主義の成長を共に象徴します。
修道院は、主要な国家祝賀、文化的イベントの開催だけではなく、著名な個人、政治家に拘わらず、無名戦士の墓のような国家に貢献した人々の国家的記念碑の中心として、1000年以上にわたり日々の礼拝サイクルを維持、ウェストミンスター宮殿は、英国議会の議事堂として継続しています。
カンタベリー大聖堂、聖オーガスティン大修道院及び聖マーティン教会は、聖アウグスティヌスによる南部イングランドへのキリスト教の再導入を具体的な形で反映、ベルタ女王(Queen Bertha、539年~612年)がすでに崇拝した聖マーティン教会で始まり、エゼルベルト国王(King Ethelbert、ケント王、560年~616年)の改宗につながっています。
これらは、また、イングランド教会発展途上の中心として、カンタベリー大聖堂は逐次的な建築対応を反映、ローマ建築の適合、モルタルレンガと石によるアングロサクソン建築の進展、聖アウグスチヌスとローマ修道士のもとで増築進展によるロマネスク様式とゴシック様式の開花など、カンタベリーを発祥とする初期ベネディクト会修道士生活の英国全体への広がりが、イングランド社会に大きな影響を与えています。
A.D.1170年にトマス・ベケット大司教(1118年~1170年)が暗殺された後、列聖によって巡礼の地となったカンタベリー大聖堂、聖マーティン教会、聖オーガスティン大修道院の遺構は、イングランド・キリスト教史における一里塚を反映、ともに物件の主要な要素を形成。
英語表記:Canterbury Cathedral, St Augustine's Abbey, and St Martin's Church
所在地:イングランド、ケント州 N51 16 48 E1 4 60(緯度 経度:度分秒)
登録基準 (i)(ii)(vi) 1988年登録
登録年度順 | 登録名 |
1 | ジャイアンツ・コーズウェーとコーズウェー海岸 |
2 | ヘンダーソン島 |
3 | ゴフ島及びインアクセシブル島 |
4 | ドーセット及び東デヴォン海岸 |
登録年度順 | 登録名 |
1 | セント・キルダ |
ウェストミンスター宮殿(Westminster palace)