北アジア、東欧に位置するロシア連邦には、イスラム教とロシア正教が共存する巡礼地に数多く残された歴史的価値の高い建築物群「カザン・クレムリンの歴史遺産群と建築物群」、南東欧と中東間の交通制御と遊牧民からの襲撃を防ぐ為、構築された防衛壁と要塞が残存する「デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群」など、古代~帝政ロシア時代までの伝統的な文化を示す華麗な建造物が立つ美しい街並みに、宮殿、ロシア正教の聖堂、修道院群、イスラム・モスクなどの象徴的な世界遺産(文化遺産)が引き継がれています。
タタールスタン共和国の首都カザンの中心部、カザンカ川とヴォルガ川の合流点付近に、きらめくドーム、華やかなミナレット、白い建造物が聳え立つカザン・クレムリンが位置。
カザン・クレムリンの建築物で最古とされる1554年から1562年に建設された生神女福音大聖堂(Cathedral of the Annunciation、ブラゴヴェシェンスキー大聖堂、受胎告知大聖堂、露:Blagoveshchenskiy Sobor)の6橋脚と5アプスを持つ16世紀ロシア正教会の建築物、近年、復元されたクルシャリフ・モスク(Qolsharif Mosque)のイスラム寺院が引き継がれています。
デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群は、ロシア連邦最南端、カスピ海の西岸、モスクワから約1,750km圏内のダゲスタン共和国の首都マハチカラから南東約125km圏内に位置。
歴史を引き継ぐ古都デルベントは、ペルシャ語で閉鎖ゲート(Darband、閉じられた門)を意味する要塞、海岸から山に約3.6kmの長さで伸びる2つの平行した城壁に囲まれたモスク、浴場、マドラサ、キャラバンサライ(隊商宿)の遺跡がが残存しています。
カザン・クレムリンの建築物群は、独創的な都市計画跡を保持、唯一、現在に引き継がれているタタールの要塞は、キプチャク汗国治世期間の歴史的な要塞と評され、長い年月にわたる歴史的継続性と異なる文化の交流よって形成された文化的多様性、イスラム教とキリスト教の影響を示す例外的な証拠と称されています。
英語表記:Historic and Architectural Complex of the Kazan Kremlin
所在地:カザン、タタールスタン共和国 N55 47 28 E49 5 42(緯度 経度:度分秒)
登録基準 (ii)(iii)(iv) 2000年登録
デルベントのシタデル(要塞)は、何世紀にもわたり、南・東ヨーロッパと中東の交通を制御する位置にあり、また、遊牧民の破壊的な急襲から中東民族を保護する地理的特殊性の結果として築き上げられた戦略的防衛システムの一部として機能。
5世紀に築き上げられた辺境地の要塞は、サーサーン朝(A.D.226年~A.D.651年)に続き、アラビア、モンゴル、ティムール朝が使用、その軍事的機能は、修復、改善され19世紀まで継続されています。
英語表記:Citadel, Ancient City and Fortress Buildings of Derbent
所在地:ダゲスタン、東コーカサス、カスピ海西部沿岸 N42 3 10.7 E48 17 49.9(緯度 経度:度分秒)
登録基準 (iii)(iv) 2003年登録
ダゲスタン共和国(Dagestan) 主な観光地
ダゲスタン共和国(Dagestan) N43 06 00 E46 53 00 ※ ⇒ Google Map
デルベント(Derbent) 所在地:N42 04 09.1 E48 17 23.3 ※ ⇒ Google Map
デルベントの要塞(Derbentskaya krepost') N42 03 08.5 E48 16 28.9 ※ ⇒ Google Map