南アジアに位置するネパールには、仏教、ヒンズー教が共存する美術・工芸の町「カトマンズの谷」、4大聖地のうちの1つとして仏教徒の巡礼の地「仏陀の生誕地ルンビニー」など紀元前から19世紀まで隆盛を誇った王朝の宮殿遺構や宗教建造物などの文化遺産が引き継がれています。
標高8,000m 級の山々を背景に1,300m の高地に位置するカトマンズの谷は、カトマンズ(Kathmandu)、パタン(Patan、ラリトプル:Lalitpur)、バクタプル(bhaktapur)3市に残る、調和のとれたパゴダ(仏塔)スタイルで最古のストゥーパを維持する仏教寺院スワヤンブナート(Swayambhunath)、高さ約36m ネパール最大のストゥーパを抱く仏教寺院ボダナート(Bauddhanath)、シヴァ神を祀り広範な境内を持つネパール最大のヒンドゥー教寺院パシュパティナート(Pashupatinath)、ネワール伝統文化を維持する最も初期のヒンドゥー教寺院チャング・ナラヤン(Changu Narayan)など、ヒンドゥー、仏教の宗教建造物と公共広場、宮殿遺構から構成されています。
仏陀の生誕地ルンビニーは、ネパールの首都・カトマンズの南西、ヒマラヤ山麓を見渡す南ネパールのタライ高原に位置、仏教の開祖、ガウタマ・シッダールタ(仏陀、釈尊)が、紀元前623年(様々な説有り)カピラ城の城主シュッドーダナを父に、マーヤー婦人を母としてこの地で誕生。
インド大陸をほぼ統一した古代インド・マウリヤ朝第3代アショーカ王(在位:紀元前268年頃~紀元前232年)が建立した石柱、マーヤー・デーヴィー寺院(Maya DeviTemple)、精舎、マーヤー夫人が出産後に淋浴したといわれるプシュカーリ池が、現在も残されています。
ヒマラヤ山脈の雄大な山嶺に囲まれたカトマンズには、15世紀後半にマッラ朝から分裂したバクタプル王国、カトマンズ王国、17世紀初期のパタン王国の宮殿遺構や宗教建造物など、多くの文化財が点在、仏教、ヒンドゥー教の共存した宗教文化が生活の中に息衝く赤レンガ造りの町並みが引き継がれています。
アジア地域では、何世紀にもわたり仏教、ヒンドゥー教の宗教変化はありますが、ネパールで少なくとも5世紀頃から芸術を生み出す勢いのある建築上の融合が始まり、16世紀~19世紀間の3世紀で両方の宗教が独特に繁栄しています。
独特な階層寺院は泥モルタルと焼きレンガの材木構造に金メッキした真鍮の装飾、屋根は小さく重なり合う赤土の素焼きタイルでおおわれ、窓、戸口と屋根支柱は、装飾的な彫刻が豊富に刻まれています。
小高い丘の上に築かれたスワヤンブナート(別名:モンキー テンプル)の仏塔は、白く塗られた半球体の上の金メッキに力強く四方を見る永遠の仏陀の目が描かれています。
地震多発地帯のネパールは、プレートの衝突による造山運動が続き、1934年、2015年などの地震により、多数の死者と多くの文化財が崩壊しています。
参照:地球の科学、⇒ プレートテクトニクス
英語表記:Kathmandu Valley
所在地:カトマンズ市、バクタプル市、パタン市 N27 42 14.22 E85 18 30.888(緯度 経度:度分秒)
登録基準 (iii)(iv)(vi) 1979年登録、2006年拡張
仏陀の死後、ルンビニーに残存する最も古いとされる紀元前3世紀の遺構は、世界三大宗教の一つ、仏教の最も神聖な領域とされ仏教信仰の巡礼地となっています。
巡礼の地となったルンビニーに、マウリヤ朝のアショーカ王も即位後20年目に巡礼し記念石柱を建立、 マーヤー・デーヴィー寺院のアショーカ王碑文に仏陀の生誕地としての記録がパーリ語のブラーフミー文字の書体で銘刻されています。
1895年にドイツ人考古学者フューラーによって発掘されるまで世間から忘れ去られていた紀元前3世紀から15世紀の仏教修道院とストゥーパの遺構は、初期の段階から仏教巡礼の中心として重要な証拠を提供、現在、遺跡は巡礼地としての整備が進められています。
英語表記:Lumbini, the Birthplace of the Lord Buddha
所在地:ルンビニ県 N27 28 8.004 E83 16 33.996(緯度 経度:度分秒)
登録基準 (ii)(iii)(vi) 1982年登録
登録年度順 | 登録名 | 登録区分 |
1 | カトマンズの谷 | 文化遺産 |
2 | 仏陀の生誕地ルンビニー | 文化遺産 |
登録年度順 | 登録名 | 登録区分 |
1 | サガルマータ国立公園 | 自然遺産 |
2 | チトワン国立公園 | 自然遺産 |
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