ラ・サンティシマ・トリニダード・デ・パラナとヘスース・デ・タバランゲのイエズス会伝道施設群
イエズス会伝道施設群は、居住区が付属するユニークな都市計画の縮図として、各期間に独特のスタイルがあり、前例のない文化的交流過程の一部としてバロック、ロマネスク様式とギリシア様式の影響を示すキリスト教帰属の象徴性を保持したすべての固有要素が組み合わされています。
独自の緩衝地帯に囲まれた一般的な考古学的遺跡は、オリジナルレイアウトの基本単位が都市中心部、精神生活の中心を提供する教会と同様な形式が踏襲され、教会の隣には 神父の住居、近くにはカシケ(Caciques)の住居跡が残存します。
英語表記:Jesuit Missions of La Santisima Trinidad de Parana and Jesus de Tavarangue
所在地:イタプーア県 S27 7 59.988 W55 42 0 (緯度 経度:度分秒
登録基準 (iv) 1993年登録
イエズス会は、スペイン王フェリペ2世(1527年~1598年、在位:1556年~1598年)の許可を得て、1588年にグアイラ(Guayra)に到着、宣教師たちは、先住民族をキリスト教化だけの目標ではなく、スペインによる植民地支配時代に採用されていた事実上の奴隷制境遇のエンコミエンダ制による植民地労働体制から保護するることでした。
居住には生涯、定住とキリスト教採用が奨励されましたが、ただ、他の新世界ミッションとは異なり、 住民に西欧化の強制はなく、多くの先住民族の伝統が保持され、奨励されたイェルバ・マテ(yerba mate)の栽培などは、今日の代表的な地域製品であり続けています。
伝道施設群の残りは、ヤード、仕事場の回廊、庭園、霊園、監獄、60m四角のアーチ型ブロックから成る先住民族の家屋、教会に隣接する大きな広場の4つのコーナーに十字架、彫像、聖堂跡が残存。
多くの伝道施設より遅れて1706年に設立された最も保存状態の良い都市複合体サンティシマ・トリニダード・デル・パラナのミッションは、約8haの面積をカバーする建築複合体で最も野心的なミッションとなっています。
ミラノの建築家ファン・バプティスト・プリモリ(Juan Bautista Primoli、1673年~1747年)のデザインに従って1745年頃に建築された細かいドームと印象的な装飾を保持する大きな石造教会に加え、小さな教会、学校、修道院、霊園、家庭菜園、鐘楼、先住民族の家屋、作業場が残存。
ヘスス・デ・タラバンゲ(Jesus de Tavarangue)のミッションは、1685年に別の場所で設立され、数年後、伝道施設群が構築されたとき、この敷地に移動、未完成のままの教会、教会の大広場、1室のみが残存する教会に取り付けられた学校、そしてコティ・グアズ(Coty Guazu)またはグレイトハウス(Great House)として知られる孤児及び寡婦のための家、司祭のための果樹園などが遺跡として残存。
イエズス会時代からと捉えられるヘスス・デ・タラバンゲの伝道施設群のムデハル様式(クリスチャン・アラブスタイル)は、三つ葉アーチの使用が反映する建築様式の組み合わせによって特徴付けられ、以前のパラグアイまたはパラクアリア(Paracuaria)地方を構成した地域で、この様式の建築例は、他に見つかっていません。
これらの都市複合体の考古学的遺跡は、キリスト教化の過程が先住民族の伝統文化の要素を保持することを可能にした文化融合を提示。
優れた普遍的な価値を表現するために必要なすべての要素を含むこれらの遺跡は、18世紀にイエズス会が追放された時代に残された遺跡として点在しています。